今日も頭がイタい…

うん…、どう転んでも人生ハードモードみたいです……

2015年の総括

今年一年の総括をします。

毎年、波乱万丈だなと思っていたが、今年は特に、波乱が多かった年でした。

1月から振り返ろう

2014年12月31日 CDJ(カウントダウンジャパンにて)大学時代の先輩と同級生に祝われながら、無職へのカウントダウンをKrevaで祝うという。鮮烈な年明けだった…

countdownjapan.jp

1月

福岡に帰る

教育実習ぶりだろうか?

久々に福岡に長期滞在したのは…

よなべPerlに行き、お知り合いを増やしたりとなんだかんで、いい帰省だった気がします。

yonabeperl.blog.jp

ゲストハウスの清掃員へ

友人の紹介で関東のゲストハウスで、清掃員をしながら住み込み、転職活動をすることに

www.khaosan-tokyo.com

さいたまげーむすとの出会い

Unityをやりたいという思いで足を運んだ勉強会に行き、そのまま運営を手伝うことになる。

saitamagame.com

2月

難航する転職活動

ゲーム会社の内定がほしくて、奮闘するもいいところから内定です…

消防署から表彰

さいたまげーむすの帰り路でお爺さんがドラマのように胸を抑えて倒れたので、熱い人工呼吸をする。 ちなみに助かったと後日連絡を頂きました。 ちなみに2015年でキスをした相手は、当時の彼女とこのお爺さんだけである。 ちなみに人工呼吸をしている間に置いていたカバンから一万円札を抜かれた模様…

ゲーム会社と飲み会で仲良くなった方の会社の二社から内定を頂く

この二社で迷う。 Unityをいじれる可能性が高いと思い。 ゲーム会社を選択

3月

入社と同時にゲストハウスから出て、住む資金を貯めるまで友人の家へ居候

入社

研修に入る

4月

仮配属

とりあえず、仮配属される。 Unityは触らない模様

さいたまげーむすで初の講師

初の講師はボロボロでだいぶ落ち込みました…

atnd.org

5月

ギークハウスに引っ越す

お金を貯めたかったこととエンジニアが多いということでギークハウスへ

geekhouse.tumblr.com

会社に発達障害と相談

muripolife.hatenablog.com

6月

さいたまげーむすでくそげーをリリース

初の個人でのアンドロイドリリース童貞を卒業する。

ユニかいひ - Google Play の Android アプリ

7月

彼女にフラれる

真面目に結婚を考えてただけに… 落ち込みました…

8月

減給(26万→18万)+干される

二か月ほど飯が入りませんでした。 プライベートではPCをいじりたくなく、すべてを投げ出して遊んでました。

そんなときに、やっぱりエンジニアをやりたいと思ったのは、友達がVJをやっているイベントを見たからでした。

www.super-deluxe.com

なぜ,僕はコードを書きたいのか? グラフィックが好きで,大学時代にすでに活躍している院の先輩が作るものに感動したからでした。 ほんとに… このままでいいのだろうか…

9月

そして,やりたいことについて考える

そして、とりあえず勉強しようと思い、好きな勉強を始める… (グラフィックの勉強:Unity、WebGLDirectX、GLSL、HLSL、openFrameworks、processing)

gakusyucho.hatenablog.com

10月

転職活動をしようと決める

勉強会巡りを再開

ハッカソン童貞を卒業 ハッカソンでの経験は、少し自信になりました。

gakusyucho.hatenablog.com

発達障害とナルコレプシと診断

muripolife.hatenablog.com

11月

ナルコレプシと正式診断そして退職

muripolife.hatenablog.com

12月

さいたまげーむす技術書出版へ

僕は少しお手伝いをしました。

www.amazon.co.jp

転職活動

転職先きまる。

gakusyucho.hatenablog.com

2015年12月31日 今年もCDJ

countdownjapan.jp

まとめ

今年一年は、とりあえず、いろんなことに挑戦した一年でした。 そして、いろんな方に助けてももらった一年でした。 高校、大学、院の同級生、ギークハウスのみなさん、さいたまげーむすのみなさん、去年よりお世話になっているPerl Mongerのみなさん、ほんとに感謝しきれない思いです。 前職のSIerの辞めても、今の会社を辞めてもエンジニアとしてやっていこうと思えたのは、みなさんおかげだと思ったり…

また一年後は、どうなっているのかわかりませんが、来年一年まだまだいろんなことに挑戦していこうとおもいます。

何が悪かったのか考える(セカンドキャリアの反省軽くします。)

最近、ぼんやり考えてしまうのが、セカンドキャリア自分のどこがいけなかったのかということ

そのうち、大きな反省の記事を書こうとは、思うのですが、思いつくままに…(減給前の業務で何が悪かったのかを考える。)

  • 差別化を図ろうとして、手を広げすぎた。
  • 適切な質問ができない
  • やっぱりミスが多い

自分が思いつく限りこの三つに集約される気がする。

差別化を図ろうとして、手を広げすぎた。

前にも書いたが、僕は別の人とは別のスキルをつけることを人と差別化を図るという選択肢をしてきた。

なぜなら、大抵の物事で同じ土俵に乗っかってしまうと成長が遅くて負けるからだ…

今まで、得意なことや特にしたいことは、事前に先回りをして勉強しておくという事をよくしていた。

そうすると、いざという時の吸収が全く違うという事を肌身で感じているからだ。

今回は、それがあだとなったと思う。

業務以外の時間で業務内容をあまり勉強していなかった。

たとえば、業務では、LAMP環境が主だったのだが、家ではLAMPの勉強はあまりしていなかった…

業務が10:00-19:00だったのだが、業務の内容に繋がりやすい勉強は、通勤の時間30分と9:00出社で毎日1時間の計1.5時間して勉強していなかったのだ。

そして、21:00まで2時間の残業(見込み残業内に抑えようとすると毎日21:00が平均退社時間となる)を行い帰るという日々だった。

家では、夜に帰り着いてから2時間ほどUnityの勉強をして、次の日,5:30起きで2時間ほど、Node.jsの勉強をしていたので、今振り返るとこの4時間を更にLAMP環境やRailの勉強充てるべきだったと思い、さらに睡眠時間をもう少し確保するべきだったと思った。(Nodeは勉強の途中で減給されたので以来止まってしまった。)

単純にナルコレプシで辛いという事がかなりあったが、毎日5:30の睡眠ではやはりだめだと思った。

更に休日は、ほとんどUnityに費やしていたので、休日に業務の勉強をあまりできていなかった。

ま~今後もUnityや別の勉強の比重を下げる気はないが、次は業務が安定するまでは、平日に別の勉強をすることは辞めようと思う。

適切な質問ができない

これは、広汎性発達障害の特徴と言ってしまえば、元も子もないのだが…

やはり質問の量が多すぎたのだと思う。(ナルコレプシで頭が働いてないということも大きいが…)

兎に角、わからなことだらけだったので、上司に質問の許可はとったものの質問の回数が多すぎた。

また、文面での支持に抽象的なことが多かったため、なんどもそこをつめるということ何度も上司に行ってしまった。

難しいが、やるにしてもスプレッドシートに一覧化や図はパワポなどを用いて、チャットで投げるという事が必要だと思った。

また、最近、ある会社の面接でベテランエンジニアの方に言われたのが、「エンジンは理系より文系の方が向いているだよ。なぜなら、仕事で求められているのは、理解じゃなく成果のものだから、何で動くがわからないけどとりあえず、書いてみて出来ましたってほうが向いてるんだ」といわれ、僕はまさにその理系の方の典型で仕組みがわからないから考え込んでしまう。

ま~僕の場合、理解できないものは書けないという性分なので、ほんとに何を書けばいいのかわからなかった…

で、その文系スキルをつけようとしても無理なので、そこの理解に帰宅後や早起きでの勉強を充てるべきだったのである。

やっぱりミスが多い

これも自分の性分だから仕方ないが…

解決方法が見つからない…

前にも書いたが、やれることはやべてやったからだ。

それでも、やはり余裕を持ったスケジュールリングをして、前倒しにコードを書いて何度も自己レビューはしないといけないと思う。

反省ってこんなところかな…

結局、中二病サブカル系の延長線上の価値観なんですよ。

就職活動は、自分の人生を見直す期間だと思う。

僕はすでに三回もやっていますが…(それもわずか二年余りの期間で…)

自分を考えていくうちに、結局「中二病サブカル系」が根底にあって生きているのだと思います。

なんだかんだ言って自分は特別な人間だと思いたい。

今まで、人生について悲劇のヒロイン症候群としか言えない日記を書いてきたわけですが…

muripolife.hatenablog.com

muripolife.hatenablog.com

自分の人生の不幸に対して驕り高ぶっています。

たとえば、企業の説明の経営者や就職してから上司の苦労話に対しても、

「その程度か小僧」という中二病的発想しか出てこない…

おかげで心には響きません。

たとえば、大学在学中に散在して借金を作った話や仕送りがなかった話をされても、僕は中学生のときに父の会社は倒産したし、大学になってからは親の援助なしでやってきたわけだし…

上司に説教で、「顧客と絡むと、凄い理不尽目なこと多いんだぞ!」と言われても、「そんな理不尽な経験、もう人生で幾度となくあるわ!」と思い、「だてに差別されたことないんだよ!」と真剣に聞くふりをしながら心の中で思ってしまう。

不幸体験にプライドを持ってしまっているのである。

自分でも思うが、「イタい」、「独り、地獄のミサワ状態」である…

自分は価値がある人間だと思いたい…

父に学歴コンプを刷り込まれたとか以前の日記で書いてましたが…

凡人になりたくないっていうのがあるんですよ。

だって、今までいろんな人から虐げられてきて、普通や普通以下なら惨めじゃないですか…

小さいころから、後発で始めた人にすぐ抜かれる…なんてこと多くて…

あ~僕ってなんて使えない人間なんだろと何度思ったことか…

兎に角、自分の価値をあげてお前らみたいな凡人とは違うんだ!今まで馬鹿にしてやつ見とけよ!

とか心では思っています…

方向性

そんなんで、人とは違うということに恐らく人生の大半の労力を割いているのだと思います。

人生の分岐点でも

  • 中学受験:みんな運動はできないけど、頭がいいと思われたいから私立の中学に行く

  • 大学受験:英語はできないけど、それはそれで名のあるところ入ったら凄いって思われるからいい大学を狙う

  • 院試:やっぱり学歴上げて、少数派になりたいから院を受ける

  • 就職:学歴がついてもコンプレックスを捨てきれず、自分の能力に付加価値を付けたいからエンジニアになる

そして、選択もみんなは一番に憧れるけど二番や三番の方が、知名度は劣るが実力あるみたいなんかかっこいい。

「知る人ぞ知る名店」的な発想で今でもいるんです。

まさに、「中二病サブカル系」です。

やっぱり社会人になっても…

一社目のブラック企業で、普通すぎてこいつらヤダと思ってしまった。

上から下まで、みんな「大学時代勉強なんて一ミリもしていなかった。勉強なんてしたって意味あるの?」って人しかいなかった…

で、無理だと拒否ってしまった。

二社目は、「なんで、干されるんだよ!」って、実は心の中で思っています。

ここでは使えないってレッテルを張られてるけど、別の会社や別の分野だったらピカイチなんだ!

絶対、必要とされるに決まっている…

なんて、実は心の奥底で思っていたりします…

こう思わないとやってられない気もしますが…

この日記イタいな…と何度読み直しても思います。

ブラック企業での出来事5

一社目のブラック企業での出来ことは今回で終わりである。

人物説明

A: プロジェクトの責任者

B: プロジェクトの責任者補佐

C: 経営者

12月

仕事を取り上げられる…

洗脳報告書の進捗が悪いので、少しやりがいを見出していた仕事を取り上げられた。

そして、洗脳報告書だけに専念しろとお達しが…

詰め詰めの日々

とにかくAに毎日詰めれた。

ほぼ毎日会議室を取るように言われ、洗脳報告書の検討会という名の人格否定が4~5時間あった。

毎日、朝から晩まで洗脳報告書を書き、夕方から検討会がある。

毎日、毎日、狭い会議室で4~5時間人格否定をされる。

僕の文章の「文字に責任がない。」、「この改行や空白の意図は?」から「社会としての責任感がない」などの言葉を心がボキボキに折れるまで何度も何度も言われ続けた。

取調室で拷問を受けるのと同じである。

そして退職の申し出

「病院からもう仕事続けるのは無理ですね。というかそんな会社一刻も早く辞めるべきです。」と言われた。

そして意を決して申し出た。

結果、3度話をしました

1度目の申し出

Aに話すと、「今すぐ会社から出ていけ、12月の給料も払わない。寮からも今すぐ出ていけと」言われ、脅される…

A「そんなまともな能力もない君を雇ってくれる会社はあるの?辞めるなら3年は働けよ!」そういわれた…

A「そしたら、一人前にエンジニアとしてやっていけるぞ」とも言われた。

今考えると真っ赤な嘘である。

いや…正しくは、嘘じゃない…

SIerのエンジニア(SE)としては、十分かもしれないが、僕がやりたいことは違う…

と心の中で思っていたが、言えず、家も貯金も収入もない中、断念せざる負えないことに…

今になって考えると、おかしな話である。

というか、今すぐ出ていけの場合、即日解雇になるので、退職金でるじゃないかと思ったり…

2度目の申し出

A,Bに金曜の検討会の際に、「お前は人としてダメだから、土日で人格なおして来い!」と言われた。

で、人格を治すのが不可能なので、頑張って僕はダメ人間だと説得し、もう治せないので二度目の退職を申し出た。

すると、Aからそんだけ理詰めができるから、「お前はできる!」と手のひらを返され、丸め込まれた。

3度目の申し出

それでも嫌で、三度目の申し出をしたところ、大丈夫だからと言われ続けた。

医者から辞めろと言われたことを伝えても、そんな時期誰にでもあると言われた。

そして、思った。

洗脳報告書を書き上げて安心したところで飛ぼう!

そして、洗脳報告書を書かきあげ、連絡を絶つ…

連絡を絶つ決意

「洗脳報告書を書き上げて安心したところで飛ぼう!」と書いたが、そんなに簡単ではない…

とにかく怖かった。

毎日不安に駆られて、血便がとまらなかった…

毎日深夜に、荷造りをし、コンビニまで荷物を運び何度も小分けにして実家に荷物を郵送した。

家具は、土日ですべて売った。

飛ぶ、前も友人の方に片っ端から励ましもらった。

ちなみ前日に寝て朝起きたら、体が自然にスーツを着て準備をしてしまうと思った。

そこで院時代の友人に付き合ってもらい、明け方まで付き合ってもらい、明け方に寝るという状況を作ってもらい、頑張って決意をした。

そして、起きると昼だった。

もう決心は着いた。

寮だったので、カギをいつ開けれるかわからないので、着替えを持ち2~3日逃げた。

ちなみに安否確認のために連絡が途絶えた寮生は部屋をスペアキーを渡され部屋を勝手に開けられるという風習があったので、逃げた。(過去に自殺があったからだということを噂で聞いた)

そしてやっと辞められた…

余談

詰め詰めの日々に入りストレスがmaxだったのか、飯が何も入らなくなり、84kgの体重ももとの70kgまでひと月余りで戻った…

1月

実家に帰った。

実家に会社からお宅の息子さんどんな育てかたしているですかというお手紙が仰々しく届いた。

そして手紙の内容からだと、僕が上司に相談もなしに勝手にプロジェクト投げて逃げたことになっていた。(逃げたことには変わりないが、仕事は全部取り上げられていたし、上司には何度も相談したわ…)

離職票は、なかなか送られてこず、苦労した…

ちなみに友人のつてで住み込みのバイトをできることになったので、関東に戻ることにした。

そして、転職活動を始めたわけである…

総括

実は、書くとまずいことは、まだたくさんあった。

だが書くと元同期を傷つける結果となるかもしれないので書けない…

さらに、その会社が反社会的勢力とも繋がっていると噂で聞いたので、怖いので伏せさせてもらう…

でも僕は、この恨みをたぶん一生忘れないだろう。

上司のやっていることは、犯罪者と同じだと思うし、会社の経営者は、A級戦犯と同じだと思う。

恐らく、何百人何千人(離職率から千はいっているんじゃないかな?)もこの会社のせいで、鬱になったり、自殺を考えたりと人生を狂わされただろうと思う。

だが結果…

良かったこともある。

  • 社会人としての動き方が学べた。
  • いざという時の動き方が身についた。
  • 礼儀作法は特によかった。
  • 人生の新しい選択肢を選ぶことができた。

何だかんだぼろ糞書いているが、僕ができないことが多すぎたのも事実だし…

それから一年後の現状も似たようなものなので、先天的に僕は社会不適合者だと思う。

だが、こんな会社潰れろと何万回も思って、今でも思い続けているが…

でも、社会から必要とされているから残っているのだ!

これは紛れもない事実だと思う。

正直、両親に送られてきた手紙の内容も世間に曝して会社を潰してしまいたい…

だが、僕はそこまで会社を潰すことに労力も割きたくないし、責任も負えない…

なので、これはただの根も葉もない愚痴で終わらせてください。

何度も日記で書いてますが…

ただただ、共感してほしいから書いてます。

最後に僕の結論を書きます。

僕の結論

ブラック企業で働くのは臨死体験と同じ!」経験したら価値観やレベルは上がるが…

しないほうがマシだし…

もしそれで死んでしまったらもともこもない…

これが最終的結論です。

ブラック企業での出来事4

8月

OJT担当に見捨てられた中、チームの責任者の上司からよく怒られるようになった。

プロジェクトの説明

ちなみに僕がいたプロジェクトの編成は、何チームあるか忘れたが、確か4チームぐらいだったと思う。 全体の総括のプロジェクトリーダーがおりその人が半分(2チーム)、サブリーダーがもう半分(2チーム)で運用されていた。

これからよく出てくるので、プロジェクトリーダーをA、サブリーダーをBとしよう。

僕のチームは、Bが見ており、僕の報告書や洗脳報告書は、AとB両方が見るという仕組みだった。

仕事で詰められ…、洗脳報告書で詰められる…

まず、SIerの世界の中に詰めるという悪習がある。 これの説明は以下を参考してください。

cybozushiki.cybozu.co.jp

「なぜできない?」、「君は普通のSEの1/4人月もまともにできていない。というかで戻り多くてマイナス人月なんだよ!」とよくいわれ、さらに洗脳報告書の出来も同期の中で最低だったので、A,Bから週2~3で詰められた。

あまりにも態度が悪いと、Bからもこのとき見捨られ始めた。

9月

洗脳報告書の新人提出が、9月末に迫っていた。

Aからの詰めが酷く、毎日のように連絡がきた。

対面で詰められないときは、電話越しに3時間詰められたことも何度かった。

で、とりあえず書くだけ書いて上に提出した。

ストレスでの体調の変化

社会人になってからというもの、食生活は前より整っているのに、とてつもなく太った。

具体的には70kg→84kgまで太った。

食べている感覚はないものの、睡眠を制限され、毎日のようにルーチンワークと詰めばかりの日々で、ストレスがとてつもなかったと思う。

僕だけでなく、同期にもそれが表れていた。

  • 激太りする人
  • 強烈な肌荒れをする人
  • 風俗にはまる人
  • 疲労臭のすごい人
  • 白髪だらけになる人

などなど異様な光景だった…

10月

洗脳報告書の審査結果が返ってきた。

評価は、同期の中で欠2

評価なんてどうでもよかった。

ただ、仕事で少し、やりがいを感じることがあった。

内容はしょうもないが、仕事の一時的ツールだが、プログラムやアルゴリズムを書かせてもらえることになったのだ…

いま考えるととてつもなくしょうもない仕事なのだが、100%いやだった仕事に少し、光が見えた気がした。

そんな矢先の11月に洗脳報告書の経営者の品評会があった。

ちなみにこの経営者(社長など)とてつもない老害

面倒なのでこいつをCとする。 今まで書いていなかった。 この会社がブラックである所以はこの経営者によるものだと思う。

  1. 内定者式での男女差別
  2. 国立大学出身は、私に頭を下げろ
  3. etc

内定者式での男女差別

ほんとはここで内定を辞退するべきだった。 内定式のさいに、Cが新人の席に回ってくる。 第一声が… 「最近、女性にお酌をさせると、セクハラになるらしいんですよね。でも私は違うと思うんです。女性はお酌をすることなど接待をすることも仕事のうちだと思うのです。~(割愛)~」的なことを行って言った後は新人の女性社員にグラスをお酌しろと差し出す。 これがCとのファーストインプレッションだった… このときに、やばいぞこの会社と思ったが、その時は自信を失い意気消沈していたため、どうでもよくなっていた。

国立大学出身は、私に頭を下げろ

実は新人研修のときに、Cとの懇親会があった。

懇親会は、ただ10時間Cのパワハラに耐えるという企画

  • 右翼思想の話に始まり、韓国の痛烈な批判(2時間)
  • 自分の生い立ちの話(1時間)
  • 会社のマインドの話(5~6時間)

などを刷り込まれた。

Cは相当な学歴コンプのようで、「国立大学をでた子は優秀と聞くのに、なぜうちに来る国立大学出身の子はみんな使えないんだ!税金を多く払って君たちの授業料を多く賄っている私に謝ってください!」といわれ、国立大出身の子が、Cに一斉に頭を下げるなんてことがあった。

その他の逸話はあるが…

伏せます…

11月

品評会

ただただくだらない内容だったので、適当に過ごしていた。

すると上司から呼ばれ、「君どういうつもりなの?」とキレられた。

そんな、嫌なことしかなかったのでもう書きたくない…

初ボーナスで減給

新人の中で2人ボーナスが減給になった。

品評会の横暴がたたり、僕がその一人になったのだ。

それも僕は、Aの更に上の上司(会社で3番目に権限を持っている人)の面談つき

Aの更に上の上司(会社で3番目に権限を持っている人)をDとする。

それも横暴に流した。

D「君やる気あるの?」

僕「ないです。」

D 「君は大学院卒で他の同期より人生経験豊富だろ。何かその人生経験を生かせることはないの?」

僕「なにもありません。(心の声:考えなくて、ただパワハラを受けるだけで、飲みでしか仕事を取ってない会社でできることはありません)」

と返して呆れられた。

洗脳レポートの締切

そんな中、洗脳報告書の締切が年末となり、Aから最高に詰められる日々が始まった。

転職を考える

そういう経緯で会社のことはどうでもいいと思っていたので、転職サービスに登録した。

ブラック企業での出来事5に続きは書きます。