今日も頭がイタい…

うん…、どう転んでも人生ハードモードみたいです……

父について考える

家を出て父と喧嘩することが増えた。

別に仲が悪いわけではないが…

母もだが、僕の他人から指摘される歪んだ価値観は父の影響もかなり受けている。

父について

  • 戦後すぐ福岡で生まれる(いわゆる生粋の博多っ子だ)
  • 6人兄弟の5番目として生まれる。(三男である)
  • 小学生のころからアルバイトをしていたらしい(戦後すぐの話なので、その頃は小学生でバイトをしていたらしい)
  • 高校時代は不良で、高校卒業後、即就職したみたい。
  • 会社員時代は、高卒でありながら、某有名大学の派閥の企業に入り、尋常じゃないほどの学歴差別を受けたみたい
  • 40歳前後まで3度の転職をし、全国を転々、40を境に地元福岡に戻り、起業する。
  • 44歳母と出会い。即結婚
  • 45歳のとき、僕生まれる
  • 55歳のとき、無理な食生活がたたり狭心症や血行障害を患う
  • 60歳のとき、自分の会社が倒産
  • 65歳のとき、血行障害で倒れ、緊急手術となる
  • 70歳現在、統合失調症の母の介護をしながら、年金で細々と生活中

人格

  • とにかく、新しい文化を否定する。(幼いころアニメを見ても、マンガを読んでも、ゲームをしてもすべて「そんなバカチンなものしてどうする!」と呆れられた)
  • 電子機器などにとても弱い(小学校のころから家のPCの設定や家電系はすべての僕がやっていたというか僕しか使っていなかった)
  • テレビはニュースしか見ない、でも教養ないから深堀ができない。(中高時代からニュースなどの事柄の歴史的背景について意見を求めたり、話しかけたりしても、俺は知らんと言われるだけ、会話をしても生産性ない…)
  • 昔の価値観でずっといる。(子どもは親のために働くものと散々言われた)
  • 食生活は、酷い。(50近くまでジャンキーなものしか食べておらず、週のほとんどを飲み会で過ごす…)

家族構成

  • 父(僕の祖父):病弱でまともに働けない
  • (僕の祖母):パートに追われる日々
  • 長男:中学卒業後即自動車会社に就職するも不慮の事故で亡くなる
  • 次男:一家唯一の大卒、高校も大学も夜間で自活しながら頑張り某有名家電メーカーに就職するも家族に嫌気がさし、婿養子に入り、縁を切る。
  • 長女:中学卒業後、すぐ嫁ぐ
  • 次女:中学卒業後、すぐ嫁ぐ
  • 三男(父)
  • 四男:よく知らないが、高校卒業後姿を消す。現在まれに連絡が来るらしい。

母まではいかないが、父に関してもため息がとまらないことが多い…

世間の人ができることがほとんどできないのだ…

いまだに連絡は電話と郵便(最近やっとCメールを見れるようになった)

先日まで新しい住所を教えるだけでも、漢字がわからんから紙で新しい住所を書いて郵送で遅れといわれた。(昭和ですか…)

いまだに一人で戦後高度経済成長期の日本を生きている。

生きた化石である。

仕事が美徳、子は親や家族のためにすべてを捧げるものという考えが強い。

上にも書いた学歴差別を受けたことに対しての学歴コンプが酷い。

昔から、あいつは何大卒だからバカだということが発言が多かった。

昔からそれも聞いて、父に認められたいという気持ちが強く。

少しでも学歴のいい大学に行きたかった。

父に植え付けられた学歴コンプ

ちなみに父が強烈な学歴差別を受けた大学は、私立最高峰のK大学なのだが、大学受験の時にあそこを受けたいというとても嫌がられたとの今でも覚えている。

なので私立で有名大学は父の中でK大学ではなく、W大学一択なのだ。

ちなみに国立大学至上主義で、早慶(もう面倒なので出します)以外の私大は認めてくれなかった。

高校時代の三者面談で、息子さんは英語国語に致命的なハンディがあるので、国立は辞めて、早慶を目標にして、無理だったら上智や理科大にしたらいかがでしょうか?

英語だけならまだ間に合うかもしれませんと再三言われた。

というか、早慶以外は学校で推薦があり、数学科を志望しているのはお宅のお子さんだけなので、推薦枠あげますよと言われても、父はこの子は、国公立か無理なら福大(福岡の私大)にやります。(あと早稲田だけ考えないことはないですが基本国公立で…)

の一点張りだった。

早い話、お金がないと学校にも息子にも言いたくなかったんだと思う。

そんなこんなで、僕の大学受験の選択肢は、早稲田か福大か国公立しかなかったのだ。

ちなみに国公立は父の中で神格化されていた。

国公立なんてお前が受かるわけないと言われ続け、笑われた。

アホなことを言うのは辞めて、福大に行け!と再三言われた。

ちなみに福大以外の地元私大はダメ!

「福大なら家から通えるし、授業料は死ぬ気でバイトして払って、就職も福岡でせれ!」

とよく言われた。

いくら模試の結果を持って行っても、先生に指定校推薦を進めれても(実際3,4回勧められた)お前はバカだからダメ、寝言は寝ていえと言った感じだった。

ちなみに大学受験の結果は、地元から割かし近い、国立に受かった。

偏差値52,3のごく普通の中堅国立理系である。

ちなみにだが受かったら受かったでいろいろ言われた。

「○大は、お前みたいな中途半端な人間にはお似合いたい!」

と言われた。

ちなみにこれは中学受験の時も言われた。

「○○中学は、お前みたいな中途半端な人間にはお似合いたい!」

ま~当時心身ともに疲れ切っていたので、言い返す気もなかった。

やっと父が認めてくれたときが院の時である。

院試は、旧帝大を受けた。

そのときも、父からは、実家に帰ってゆっくり就活するか、引き続き自分で何とかするなら院に内部進学して、ゆっくり考えろと言われた。

結果、合格した時は、単純に褒めてくれた覚えがある。

ま~すぐ授業料や生活費は自分で何とかしろよと言われたが…

でも、入学金は出してやると言われた。

 他の親とは違う価値観

父は、戦後すぐの生まれの、流行り物や電子機器が何もわからない堅物、母は、韓国人のお嬢様育ちという環境で育ったので、幼小中通して、同級生と話が合わなかった。

というか流行りのものなど情報はすべて同級生やテレビ、自分で本や雑誌などで学んだ。

例えば、小学校の頃に流行っていたものはすべて友達伝いに知ったし、大学受験などの情報や勉強法などは自分で手探り探した。

ちなみにこれがあったから、院試や就活の時に自分から積極的に動くことができたと思うのだが、高校時代のとき友達が親とメールでコミュニケーションを取ることに対し(今はLINEかな)、うちの親もできたらなと何度思ったことか…

また、父は昔の言葉をそのまま使っていたので、それでもかなり苦労した。

「ベルト」のことを「バンド」と読んだり、酷い時には、差別語認定されている言葉を平然と公共の場で使う。

ポラロイドカメラ」を「バカ○ョンカメラ」と言ったりしていた。

ちなみに「バカ○ョンカメラ」は妻が韓国人なのによく現在まで平気に使っていると思う。

公共の場で大の大人が平然と差別用語を使うことに対して、常識がないと感じ、何度も父を叱った覚えがある。

 実家を離れてからの父との関係

大学時代から父とよく経済面でよく言い合いをするようになった。

大学進学当初は、「何も心配せんでいい。卒業のことだけ考えろ」と言われたが、心配なので第一種奨学金を取った。

見事に不安は的中し、2か月後には「授業料は自分で払ってくれ」、一年後には、「何とか自分で生きてくれと言われた」

ま~大学一年の時の仕送りも、僕名義の学生ローンで借りたお金の余り、バイトを始めてからは、仕送りという名目で僕のバイト代をそのまま振り込んでいただけだったので、変わらないのだが…

何度も喧嘩した。

僕も悪い、大学進学時に授業料など金回りをきっちり調べて、授業料免除を出せばよかったし、大学に進学してから一年半は腐っていて単位を落としまくり、授業料免除の申請が出せないレベルになっていたからだ。(反省して、院からは授業料免除の申請をだした

教員免許取得に関してはとく口論になった。

「無理して留年するかもしれないのに単位取らんでいい。卒業だけしてくれ!」

と何度も言われたが、田舎の国立で就活に多大な費用がいる状況で、毎日バイトとゼミの勉強で公務員試験などの勉強をしている暇もない状態でどう将来を考えろいうのだろうか?

という状況だった。

父は、「卒業だけして、何とかせれ!」と言うだけで金銭的に支援はほぼなかった。

 詳しくは、学部の入学金最初の前期の授業料、院の入学金と、ほんとに死にそうな時だけ仕送りをくれたので、のべ100万程度は支援してくれたのだが、逆に親が厳しい時に学部時代から親に100万ほどあげている(勝手に口座から引き落とされたというのが正しいのだが…)ので、ほぼ自活していたのだと思う。

 社会人になってからの父との関係

院を卒業して、IT系の就職をしてからというもの、まず一言目に「俺は、お前が何をやっているのかわからん!」とただ言われるようになった。

それに対比するように僕も「父さんに僕の仕事内容を伝えるのは、原始人に経済の仕組仕組みは話すようなものだから無理」と返すようになった。

それでも親としては気になるようで「どんな仕事をしているのか、実家に帰ってきたときに教えてくれ」と言われ、僕が説明する準備をしていっても説明しようとしても「もうよか!、俺は何も言うことがない」と言われるだけで最近は実家に帰っても平行線の日々である。

 まとめ

父に関しても母に関しても愚痴を散々に書いたのだが、父に関しては、かなり感謝している、よく金のことで喧嘩するのでだが、いやいや言いながらよく面倒を見てくれていると思う。

今回の記事の趣旨は愚痴を言って共感してもらいたいとことが人一倍あるだけなのでただ書いています。

愚痴を終わります。