病状報告(ナルコレプシについて)
ナルコレプシについて進展があったので、報告しようと思う。
現状整理
- 某病院の精神科に通院しており、それぞれ発達障害と睡眠の専門医に掛っている。
- 転職のエージェントと相談し、今後はの転職活動はナルコレプシと広汎性発達障害をオープンにして活動していこうという結論に至った。
近況報告
一昨日(11/18)に発達障害系で通院したところ、医師に転職活動でナルコレプシと広汎性発達障害をオープンにするなら、ナルコレプシの治療はすぐ始めて、どれだけ効果が出るかを把握したうえで上で転職活動をした方がいいとアドバイスをもらい、薬代も最大1万程度だから安心したらと言われた。
翌日(11/19)に睡眠系で、受診し、今後の治療方針を話し合うこと
ナルコレプシの治療の方針
薬は何にするか?
を選べると言われた。
昔はリタリンしかなく、最近はモディオダールをすすめることが多いですと言われる。
ある程度ネットで調べていたので、とりあえず、モディオダールを処方してもらうことに
自立支援は申請できるのか?
まず自立支援について(自立支援医療制度の概要 |厚生労働省)
端的に言うと、特定の病気は地方自治体が3割に加えて何割か負担しますよ。
という制度だ。
そして、ナルコレプシは申請が通るかどうかわからないとのことだった。(http://www.jssr.jp/data/pdf/Narcolepsy_cq_ippan_20100726.pdf)
ということで、広汎性発達障害の方で申請をして、治療をすすめていくことに
薬の料金
事前にネットで調べても高額(2~3万)と書いてあり、11/18の発達障害系で通院で一万程度と言われたので、カツカツな中だいぶビビッていたものの
会計を済ませると、ひと月の薬代が受診料も含めて4000円程度だった。
だいぶ安心した、今後もとりあえず、やっていけそうだ。
今後の治療方針
とりあえず、モディオダールで様子を見つつ、自立支援の申請が通り次第、脳のMRIを取るそうだ。
MRIを取る理由
ナルコレプシには、原因がわかる場合とわからない場合の二種類あるそうだ。
- 原因がわかる場合:詳しくは知らないが脳で睡眠を司る部分がうまく機能していないということがMRIでわかるらしい。
- 原因がわからない場合:文字の通り理由が原因不明ということらしい
とりあえず、近況報告を終わろうと思う。
ブラック企業での出来事3
配属されて(6月)
当時、僕が在籍していた会社では、配属が普通の会社よりひと月早かった。
恐らく理由は、他のパートナーや下請け会社の新人より実務経験を多く積ませて、できる人というイメージを持たせるためだろう。
配属プロジェクトは、何かしら問題になりそうなので書かないが、システムの保守運用プロジェクトに回された。
僕在籍している会社のパートナー会社の新人とも合わせて3人で配属された。
配属プロジェクトは大きく分けて二つに分かれており、僕は片方のプロジェクトに一人で配属された。
配属当初は、上が忙しく、さらに回す仕事がなく。
すぐにもう一方のプロジェクトに回されることになった。
ただ、その一方のプロジェクトはセキュリティーが厳しく、オフィスに入るのに承認に一月かかると言われ、6月は宙ぶらりんの期間となった。
ただ、それでも洗脳報告書をせかされたり、業務の内容も誰も教えてくれないという状態で、定時帰りなどは一度もなく、早くて20時、遅くて23時といった生活だった。
兎に角きつかった内容が毎日の日報で、日報を上司にレビューを受け何度も手直しする。
という作業ばかりやらされた。
今考えると無駄の極みである。
ちなみにだが、もちろん残業代はでない!!!!
仕事内容
SEと聞いて世の人たちは、「システムエンジニア」→「パソコンのエンジニア」→「プログラミング」という考えの人が多く、SIerの人はプログラミングをしているというのが世間の一般的イメージだろう。
それは、間違えである。
SIerの人はごく一部しかコーディング(プログラミング)をしない。
プログラミングをバリバリ書くのはWeb系よりの人たちだ。
SIerでも最下層の工程や社内で閉じているプロジェクト、社内開発を行っている企業などはコーディングをする。
だが、僕のいるプロジェクトは、保守・運用。
コーディングは機能追加の時しかない…
それ以外はほぼテスト、実際僕の在籍中の報告書以外や日報以外の仕事内容は8割がテストだった。
テストというのは、書けば長くなるので書かないが。
システムがしっかり動いるか確かめる、ゲーム会社などでいうところのデバッグプレーである。
7月から
ようやくもう一方のオフィスの承認おり、正式にもう一方のプロジェクトに配属された。
テストの日々、6月からもだが、ほぼ毎日テストだった。
- 毎日同じことのくりかえし、頭が痛くなる作業
- 更に意味不明なテストケース(テストの仕様書)
で頭が痛くなっていった。
この日記で散々書いているが、昔から単純作業が苦手で、
- スピードが遅い
- ミスが多い
- テストの概要が理解できない
といったことが多かった。
さらに、気絶するのように仕事中に寝てしまう。
ということがあり心療内科を受診した。(詳しくは、今の僕の現状と発達障害について - 窓際日記)
ということがあり、まわりに呆れられ始めていた。
また、新人研修の一件で会社の社員に敵意を持っていたため、基本会社の人と飲みに行くことをあまりしなかった。
会社の方針が技術よりも人付き合いで、
- 上司を飲みに誘わないとキレられる。
- 飲み会で仕事の話をしないとキレられる。
ということや業務改善が全く見られず、OJTの上司に毎日のように日報でキレられた。
キレている最中も、睡魔がとまらず
対策の欄に睡魔がとまらないのでどうにもならないと半ばキレ気味に書いたところ
OJT担当に完全に見捨てられた。
ブラック企業での出来事4へ
ナルコレプシの診断から退職について
2015年11月11日この日、僕はナルコレプシと正式に診断されました。
ナルコレプシとは
ナルコレプシ(narcolepsy)とは,日中において場所や状況を選ばず起こる強い眠気の発作を主な症状とする脳疾患(睡眠障害)(ナルコレプシー - Wikipedia)
眠気の強さは、健康な人が48時間眠らなかったときに感じる程度だといわれています。
【突然眠ってしまう病気「ナルコレプシー」】FINE-club〜健康で元気な暮らし情報
ナルコレプシ診断までの経緯
遡ることADHDの診断をされた2014年7月のこと、不可解な居眠りはナルコレプシが原因だと思い心療内科を受診したので、最終的に自分の予想は的中したということである。
それからADHDで悩むことになり、現職で正式に検査。
結果として、
・ADHDとはっきりはわからない、もっと専門の病院に行けば正式にどちらかわかるかも
・広汎性発達障害(PDD)と診断される。
・ナルコレプシの可能性が高い
という診断が一か月半前(10月初旬)の診断でした。
ナルコレプシの検査
反復睡眠潜時検査という検査を受けました。
費用:15000円程度
血液採取の提供で5000円バック
実質:1万円
検査内容:丸一日朝から夕方まで、30分の仮眠、二時間の起きるということを5回繰り返し、脳波を図るという検査
検査の結果、入眠時レム期が2/5あるとナルコレプシだと言える。
結果:5/5入眠時レム期あり、極めて強いナルコレプシだと診断される。
医者からはそく検査と薬を処方したいと言われたが、薬が高額といわれ、減給時なので処方を断念。
会社との話し合い
会社には、検査結果を即伝えた。
すると会社と翌日話し合いの場が設けられた。
僕の要求
- 減給された給料を上げてくれとは言わないでも責めて治療費を負担してくれないだろうか?
- 治療費の負担がダメならば、一時的に副業を認めてくれないだろうか?
- 以上の二点が満たせない場合は僕はもう次の転職先を探します
という、提案をしたところ
二点は無理だと言われる。
無理だとはわかっていたが、やっぱりかと思う。
ただ、転職先を探すのなら、年内までの給料は出すから、出社せず、これから転職活動に専念してくれという打診を受けた。
正直、期待よりは、退職に対して譲歩してくれた。
そう感じた。
なんだかんだで会社には会社の言い分がある。
前職のブラックのようなむちゃくちゃな理論じゃなくて…
ただ、譲歩してもらっても状況は厳しいまま、とにかく年明けには働けるようにしなくてはと思いつつ、人生3度の目の就職活動が本格的に始まりました。
ブラック企業での出来事2
入社2日目からの洗脳
入社式は,普通に終わった。
ただ、教育担当の紹介があったときに,教育担当の方がムスッとしていたのを覚えている。
新人教育が厳しいと聞いていたので,そのように振舞っているのだろうと察しはついた。
二日目の日報の提出報告から地獄は始まった。
二日目の日報の提出の時に明らかに提出不可能な時間で提出しろと連絡がきた。
連絡が来て誰も指導員に遅れるという連絡をしなかった。
提出時刻ぴったりに「なんで、誰も連絡しないんだ!」という怒鳴り声から始まった。
社会人としてホウレンソウ(報告・連絡・相談)は基本中の基本、納期が遅れそうなら、事前にスケジュールの調整を図らないとクライアントからの信用を失う。
というもっともらしい回答だった。
僕もそれはそうだと思い、とりあえず大人しく叱られることにした。
4時間ほど叱られただろうか…?
それが二日目のことだ。
ちなみにその会社の定時は18時、入社式の退社時間は18:30
二日目の退社時間は21:30だった。
もちろん残業代は出ない!
会社で求められている人材
会社で求められている人材というのは会社ごとによって違う。
その会社が求めるの頭の良さでも生産性の高い人間でもなくリーダー力だ。
そこの会社では、会社で定めたリーダー力を図るために自己啓発系の提出書類があった。
その書類は、簡単に言うと社風の刷り込み洗脳を主とした内容で仕事の出来よりも書類の出来で給与や出世が分かれるというものだった。
この自己啓発系の提出書類を社員は報告書と呼んでいた。
詳しく書くと面倒なので、省略する。
この報告書の概要を聞いて幾ら、頑張っても僕はその人間にないれないと悟った。
新人合宿
これは研修中に一度ある地獄だった。
内容は技術研修と聞かされているのだが、基本はわけのわからない課題を与えられ、上司にキレられながら聞き課題をこなすという内容
課題をこなすというの聞こえはいいが、簡単に言うと会社が定めるテンプレートで上司役である社員に怒鳴られ切れられながら必死に頭を下げて聞き出し、種類を作成するという。
ただの修行…
頭なんて要らない。
上司に媚を売って頑張って気に入られて課題をやってもらえという内容で、無駄に二日間の徹夜を強いられる。
しかも、合宿後は飲み…(強制ではないが断れない雰囲気)
地獄の研修の日々
研修中は毎日が地獄だった。
マナーの内容で怒られ(これはちなみに良かった)、技術研修は杜撰…
一度もまともな開発をされてもらえなかった…
技術研修以外は報告書の作成に当てられ、毎日21時退社から勉強をする日々だった。
特に僕は報告書の出来が悪く、5月はほぼ休みなく毎日出ることになった。
また、技術研修は例年より報告書の時間を大幅にとるということで例年より点数が悪い…
特に会社の下請け会社と一緒に研修をするのだが、下請け会社に技術点を負けると示しがつかないということで、裏でカンニングを横行させるという本末転倒なことをさせていた。
技術者は本来技術を売っていくものなのに、その技術に時間を割かず、洗脳に時間を割き、技術の育成に手が回らず、上に示しがつかないのでカンニングさせる…
この日々を経験して、研修の終わりにはもうやめようという気持ちになっていた。
途中から何にもやる気がなくなり、研修の最後には、技術点最下位、報告書点最下位付近
総合点はしたから4番目という結果だった。
もう辞めようと思っていたら、辞めるなと説得が…
「三年は耐えろ」という新卒の通説を当時は信じていたため
配属されてから考えようと思いとどまり、僕は配属されることになった。
ブラック企業での出来事3をそのうち書きます。
ブラック企業での出来事1
唐突ですが、ファーストキャリアでブラック企業に入社しました。
ブラック企業で得たこと
- 上司との報告や相談の大切さ
- 自分勝手に生きること
- SIerは、人間の働く業界ではないという実感
- 無理はしすぎては良くない、死にそうになったら逃げる
総称して,コミュ力という抽象的な言葉で表されるものだ。
僕は、社会人になって「生産性」、「コミュ力」という二単語がとても嫌になった。
聞いているだけで胃がむかむかしてしまう…
社会人としてファーストキャリアというものは、重要だと思う。
経験をすることに対して,初めてのことは基準になるからだ。
入社までの経緯
2014年4月僕は、某有名SIerのパートナ会社に入社した。
入社の前に僕はとても落ち込んでいた。
なぜなら、行きたくなかったからだ。
もともとITでもWeb系を志望しており、ずっとWeb系の会社に入社したいと考えており、就活でもWeb系ばかり受けていたからだ。
今考えると、当時の僕はとても就活のアプローチが下手だった。(詳しくはそのうち書こうと思う。)
そんな就活を続け、Web系に全滅…
大手SIerの学内推薦を受けるも祈られる…
最終的に滑り止めで受けた中小企業2社しか内定がないというのが,当時2013年5月の話だった。
今から考えるとまだ幾らでも行動しようがあったのに,心が折れてしまい。
それから二ヵ月就職活動を続けても、どこからも内定が取れなかった。
ただ、入社に当たって面接時に、どんなキャリアを描けるのかという質問をし、配属時からがっつりコーディング(プログラミング)をさせてくれと約束を取り付けたのが唯一の決定打となった。
入社の前に
入社前からブラック企業というのは同期や某掲示板で聞いていたもののそれだけ仕事をさせてもらえるなら力がつく!
院の研究でも毎日大学に行っていたし、やりたいことならいくらでもできるだろうと考えていた。
それは考えが甘かった。
ブラック企業での出来事2をそのうち書きます。
母について考える
実家に帰ったときはどうも毒づきかたが増してしまう。
すみません。でもなにか発信しないと精神状態保てないんです。
実家に帰ると両親の問題に直面する。
僕の人生の足を引っ張っているのは母と言って過言ではない!
と思っている。
息子の僕が言うのも可笑しな話だが、父と母は育った家庭環境も親戚関係も複雑だ。
なので、頼るところがないという八方ふさがりの環境にいる。
今回は母について書いていこうと思う。
母について
・韓国の全羅北道という田舎で生まれる。
・小さいころに両親が離婚、ソウルに移り住む
(原因:祖母が統合失調症を発症)
・良くは知らないが兄弟が別々に親戚に預けられてたみたい
・ちなみに親戚は、結構名家?(曾祖父が韓国の歴史の教科書にのる人だったよう。
국가보훈처 대표 블로그 - 훈터 :: 스승의 은혜는 하늘같아서 - 애국지사 춘고 이인식 선생 서거 50주기 추모식을 가다
)
・名家のおかげで、有名なお嬢様学校に通っていた
・職は、国家公務員で秘書をやっていた
・30歳のときに日本の資産家のもとへ嫁ぐ(このとき親戚との縁切ったみたい)
・親族がとても嫌いらしく、縁を切った。
・資産家と別れる(母31歳)
・父と結婚(32歳)
・僕生まれる(32歳)
・とてもプライドが高くて自分の思い通りにならないと気が済まない。
・性格の問題で、様々なコミュニティーになじめない。
・ギャンブルなどもよくやっていた。
・料理は少しする。
・昔から引きこもりがちだった。
・癇癪持ち
・金使い荒い
・キレるととても暴力的になる
・僕が10歳ごろから母(44歳)に統合失調症の気が現れる。
・46歳の時に日本人に帰化
・僕が13歳の時から引きこもりになる。
・僕が18歳のときに事件を起こし、統合失調症と診断され入院(母(51歳))
・母52歳、54歳のときに乳癌発症
・現在、58歳で家で老人のように部屋から一歩も出ずに療養中
母のことを書くとため息しか出てこない
小さいころから自分以外の人間をこけおどしにして罵倒するということをよくしていた。
それは、夫である父や息子である僕に対してもそうだった。
父には、「あなたは何かがおかしい」、「あの子(僕)できそこないなのは、あなたのせいよ!」とよく言っていた。
僕が何か失敗をすると「私を困らせたいんでしょ!!」、「あなたみたいな子ども生んだのが間違いだった。」、「あなたは、何度も同じ間違いをするから犬と同じで叩いて体で覚えさせないと覚えないのよ!」いまだによく浴びせられた、罵倒だと思う。
小さいころは、僕は母の機嫌を取ることで一生懸命だった。
それでもやってもやってもできないことが多かった。
そのたびに母には殴られてた。
ただ僕が手がかかる子というのも事実で子どものことから病弱でよく、入退院を繰り返していたし、僕が広汎性発達障害(以前の日記より)ということもあってよく失敗する子だった。
なので、育児に疲れていたというのもあると思う。
僕が幼いころから、僕の面倒をよく父に押し付けて、パチンコに勤しんでいた。
僕が小学校に上がると、家をよく空けて、毎日のようにパチンコに行っていた。
父に聞くと当時、貯金が1/3までに減らしたらしい。
パチンコで負けるたびに父に「あのパチ屋は私に勝たせないから文句を言いに行ってこい」ということをよく聞いていた。
だが、勉強面は教育ママで、良く昔から勉強させられていた。
ただ、結構行き過ぎていて、90点ほどの点数でよく怒られたのを覚えている。
兎に角テストが帰ってくるたびに怒られると怖かった思い出がある。
さらに外面はよかった。
学校の行事には積極的に参加していたし、小学校の行事によく手を貸してくれていた。
外面は、いい母だった。
また、僕が中学受験することになった時は、なぜが僕以上に勉強をして僕に教えないと気が済まないという人だった。
よく塾帰りに夜中まで勉強させられたし、夜中たたき起こされたりもした。
ただ、自分の教えたところができなかったりするとすぐ癇癪をおこして、キレる始末。
受験日の朝に僕が気に入らないことをするとよくそんなことするから「今日の試験は落ちる」と罵声は浴びさせれたものだ。
ちなみにこのころから「私の後を誰かがつけている」などをよく言っており、統合失調症の気が出ていた。
僕はそんな母が嫌で、中学からは学校に一切関与してほしくないといった。
幾度ない話し合いにより、母は学校のことに対して何もしないと了承を得た。
すると本当に母として何もしなくなった。
学校の行事や親に見せる書類はすべての僕が父や母の名前を書きハンコを押して対応していた。
ただ、学業だけは別で、僕が英語で落ちこぼれたときに、英語の先生から母がきつく言われたらしく。
母はそれが嫌だったらしく、英語に対しては昔のような対応をしていた。
当時、毎日のように21時まで残されて、大量の宿題を出されていたのもかかわらず、夜中まで起こされて、ひたすら英語をやらされていた。
そんな毎日が嫌で、英語が僕はますます嫌いになって、嫌気がさして、答案を白紙で出すようになった。
母は癇癪を起し、よく先生には呼び出された。
たび重なる面談の結果、父や先生に押してもらい僕の勉強には一切口出ししないという了承を母から得た。
すると母はもう生きがいが無くなったのか、部屋に引きこもるようになった。
毎日、家事もしない、昼夜逆転をする。
そんな生活を4年間続けた。
このときに、精神状態はさらに悪化、「誰かが私を監視している」といい、家のガラスすべてを布で覆い始めた。
引きこもりを始めたころから僕は医学書で母が統合失調症の初期症状であることを調べ父に病院に連れて行ってくれと頼んでいたが、父は聞く耳を持たなかった。
さらに毎日のように酒におぼれ、アル中になっていた。
僕は当時受験勉強をしながら、どうにかして母を病院に入院させようと病院を回って、病院を受診する手続きまでした。
だが、父は「お母さんはゆうこときかん!」というだけで僕がやった手続きをすべて無駄にした。
そんな生活も僕が大学進学をするときに終わりを告げた。
母が私も家を出ると言い出したのだ。
母は自分の気が済むように僕の生活をコーディネートしたかったようだ。
借りたボロアパートも気に入らず、買っても家賃倍のマンションを借りて僕に住まわせようとした。
僕がいうことを聞いてくれないから、僕の家の合鍵を買って作り僕の部屋に勝手に入るようになった。
僕はそれが嫌なのと家の経済状況を知っていたので、必至で母を福岡に返そうと不動産屋へ交渉し、解約しようと思っていた矢先、事件が起きた。
母が高速道路で事故を起こしたのだ。
それもなぜか鹿児島で、車を高速道路でぶつけたのだ。
そして警察に精神状態おかしいことがわかり父に連絡が言った。
そのときになって父はようやく、母を病院に連れ言ってくれた。
事故の後処理や、マンションの解約費用や家出中の費用などもすべて含めて200万ほどかかったらしい。
僕は、大学の1年の後期から学費だけでなく全て自分の稼ぎでたべていかなければならなくなった。
そして大学2年のときに母が癌になった。
父からは、勝手に奨学金を使われた。
金がないと父が日に日に疲れていくのがわかった。
父からは、兎に角自分で何とかしてくれと言われた。
僕は週6でバイトをして、深夜勉強するという生活が始まった。
そこから母は変わらず、自宅療養を続けている。
母は病気になって丸くなった。
そして弱弱しくなった。
僕に対して、罵倒ではなく、縋るようになった。
そんなゲンキンな母が死ぬほど嫌いだ。
母が癌になったとき、まず出た感情が、やっと母がいなくなってくれるという嬉しさだった。
でも、結局は二回の手術に耐え、生きている。
僕がその分必至で頑張っていたのも知らない。
母からの電話を今でも気分が悪くて取れない。
癌の時母から、僕が心配していると思って父の電話から電話をかけてきたとき、「私は大丈夫だから心配しないで」と一方的に言われたことをよく思い出す。
僕は最低な息子だと思うが、心配なんて微塵もしていなかったし、むしろなんでしぶとく、生きるんだ僕の人生の足をどれだけ引っ張り続けたら気が済むのだ、という感情しか湧いてこなかった…
僕は母に対しても父に対しても最低な息子だと思う。
でも母の面倒は見たくない。
生んでもらって育ててもらってそれは身勝手だろうと思われる方も多いかもしれないが…
ただ、子ども将来をつぶし、足を引っ張り続ける親もこの世の中には多いということを知ってほしい。
父がいなくなったらということをいつも考える。
母をどうやって面倒見ればいいのだろう?
僕は母と生活した間違くなく、母を殺すと思う。
僕は、殺人犯になりたくない。
母には、消えてほしい。
韓国に戻ってほしい。
祖母が療養している田舎で、ひっそりと余生を生きてほしい。
仕送りはできる限りする。
でも僕の人生にもう関わらないでほしい。
僕の愚痴は以上です。
実家に帰って物思いふける。
実家について物思いにふけるため日記を更新する。
早い話、Twitterや日記に書いて、共感や同情を求めている。
弱い人間なのだ、でも共感しもらいたいので書いてしまう。
僕の人生は、自画自賛だが谷の底の連続ある。
さらに、一般人なら一生に一度経験するかしないかの不幸を何度も経験している。
不幸自慢なら負けない
リスト
幼少期(0~12歳)
・母に虐待される
・いじめられる
・韓国系ハーフで後ろ指指される
・病弱で入退院を繰り返す
・後半から母がおかしくなってくる。
思春期(12~18歳)
・いじめられる
・父の会社倒産
・高校の授業料を学生ローンで
・母が引きこもりへ
青年期(18~24歳)
・大学受験失敗
・大学の授業料、生活費のすべてを自力で賄う
・母が統合失調症発症
・母が乳がん発症
・父、血管障害で手術へ
・父と母のしわ寄せすべて僕に来る、奨学金勝手に使われる。
・就職活動失敗
・大学、院と返済すべき奨学金が1000万に上る
社会人(24~現在)
・ファーストキャリアでとてつもないブラック企業へ
・会社9ヶ月で辞める
・会社が辞めさせてくれなかったので、夜逃げする
・家を失い、ホームレスで五ヶ月間過ごす
・転職決まるも4ヶ月で減給、給料を生活最低賃金まで下げられる
・奨学金の返済をとめる。
と普通の人じゃ経験できない不幸を経験している。
よく今まで自殺しなかったなと自分を褒めてあげたい。
ま~こまごま書くとこれ以上にいろいろあるけど…
僕に人生安定するときは来るのでしょうか?
やっぱり一人で物思いふけると、これからのことが怖い。
父が死んだらどうしよう。
母の面倒を見たくない。
1000万の奨学金はどうしよう。
僕はまともに社会人できるのだろうか。
というかまっとうな人生が送れるのだろうか?